弥生時代の衣服について

 弥生時代の衣服については、古墳時代の人物ハニワのような資料が少ないため、『魏志』「倭人伝」の記事によるところが大きいのですが、解釈に若干の相違があります。
その記事を読んでみましょう。

 

「男子は皆露ケイし、木綿以て頭に招く。その衣は横幅、但結束して相連ね、略縫うことなし。
婦人は被髪屈ケイし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを着る。」

 この記述から、男子は木綿を頭に巻き、衣服については長い布を体にまく「袈裟説」と、布を横に並べて綴った「横幅衣説」があり、ここでは男性の衣服に、30センチの横幅の布を合わせた横幅衣を採用しています。しかし、当時の中国に来たとされる倭人の使者の絵からも袈裟説は大いに考えられます。(→風俗博物館「横幅の布を巻く倭の男子」
また縫う技術は、実際に吉野ヶ里遺跡から縫い合わせた布片が出土していることから証明されました。

 女性はそのまま1枚布の中央をあけて頭を出していたとされますが、出土している機織具から考えても30センチ以上の幅の布を作るのは難しく、肩幅などを考えても2枚合わせた横幅衣だったのではと考えられているようです。ただし、50センチくらいまでなら織れるという意見もあり、ここでは強引に50センチ幅の布を採用しています。(→風俗博物館「貫頭衣の倭の婦人」

 また銅鐸や土器に描かれる人物には、胴体に逆三角形とその下の点よりのびる線を描いたものや、T字を描いたものがあり、2枚の横幅布を合わせ、着装した様子を描いたとする見方ができます。

(大人が着る場合、右の人形のような一枚布の貫頭衣はできない?)

*紙と布では体へのおさまりかたが全然違います。実際に布を用いて人形などにかぶせるか、シーツなどで自分でかぶってつくってみましょう。
(紙では中央に少し穴を開けないとうまくいきませんが、布は切れ込みをいれるだけ(横幅布では中央をあわせない)ですんなりと着れます。)
庶民の衣服
布目氏案(布目1995)
機織り具(原始ばた)
池上曽根遺跡出土布片

参考
布目順郎 1995 『倭人の絹−弥生時代の織物文化』 小学館
潮見 浩 1988 『図解 技術の考古学』 有斐閣選書
酒野晶子 2001 「機と織布の普及」『第6回古代史博物館フォーラム歴史を語る ー弟6話「むかしのファッションを復元する」ー』 古代史博物館・泉南市埋蔵文化財センター
太田区立郷土博物館編 2001 『ものづくりの考古学−原始・古代の人々の知恵と工夫ー』 東京美術

風俗博物館−よみがえる源氏物語の世界− (日本服飾史のコーナー)